とは言うものの

Having said that,

人の振り見て我が振り直せ

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誰かが目の前で蹴躓いたら
「馬鹿じゃん」って笑うんじゃなくて
「大丈夫?」って手を差し伸べる人

そんなの当たり前だと思ってたけど
意外にそういう人に出会うチャンスは多くないと気付く

そして自分もそうなれる様に心がけよう
情けは人のためならず、ね 

若い時は今よりも積極的にいろいろな人と出会っていて、その中にはもちろん性格が合わない人もいた。キツイ性格だなと思いつつもズルズルと遊んでいると、普段の生活でも心がクサクサしやすくなっている自分に気がついた。最初は場の雰囲気やノリで相手に合わせていただけなのにいつしか日常の思考や行動に現れ始めていた。元来人に影響を受けやすい質なので、自分の環境はちゃんと考えて選ばないとダメだなと反省した出来事だった。

とは言うものの、気心知れた人達ばかりとつるみがちなのも見識を狭めてしまう。何となく落とし所を互いに分かっているだけに、もし意見の相違があったとしても踏み込んだ話にならない。穏やかな暮らしを求めれば求めるほど、辛辣だったり相容れない意見と触れる機会が減るとは思うので適度にアンテナを広げて暮らしていこう。

Where is the love?

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愛が終わった
いや、終わったと言うのは少し違う気がする
ただ単にカタチを変えてしまった

そのカタチを変えたのは誰でもなく僕ら自身
だけどカタチが変わったその愛は僕らの求めるものではなくなった

僕らが一緒だった時間は決して無駄ではないけれど
曖昧なままではただ苦しいだけだから
今は寂しくてもいつか救われるはず

彼とは3年半付き合う中で同棲を含め貴重な経験を数多く共にしたし、何より自分を初めてさらけ出し向き合えた人だった。だけど当初の溢れんばかりの愛が月日と共に家族のような愛に変わっていく事実を上手く受け入れることができなかった。結果として、このまま付き合いを続けるより誰か新しい人を見つけた方がより幸せになれるんじゃないか?そんな思考を止められず別れを選んだ。

家族のようになれる人に出会う確率は稀だし、せめてもう少しもがいてみれば良かったのにと今は思う。ただ20代だった当時は、マイノリティーに関する情報がまだ少なかったこともあり、ゲイ同士で家族になるという発想がそもそも自分にはなかった。ドキドキがなくなったら恋人ではないという若気の至り思考があったうえに、次のステージに進む発想も0だったので、2人の関係性に悩む苦しさから逃げられる安直な決断をしてしまった。

そんな経験の後に出会った人とは5年付き合い同棲もした。いくらか成長した自分は、一緒に住むことで徐々に家族のようになる変化を受け入れて上手くやっているつもりだった。ところが現実は愛情の愛が欠落し情だけで関係性を維持しようとしてしまい結局30代前半で別れた。(この頃の心境変化を書いていたブログはもう削除してしまったのが残念無念)

同棲は良いところも悪いところもあるけれど、生々しい内面を見せ合う点は好きだし、LGBTQ+の面でもコロナの面でも世の中が変わりつつある今、また同棲をしてみたいと思う自分がいる。ちなみにこの記事を書くうちに、2回の同棲どちらも賃貸契約の貸借人は連名で署名していたことをふと思い出した。どちら発信だったかは思い出せないものの、若い2人は公平な関係を模索していたのだろうか。

出世は不要

先日、上司にちょいちょいと手招きで会議室に呼ばれ行ってみると、来年あたりに管理職になる気はある?と突然の質問。いきなりの本題直球で多少うろたえつつ実はその雰囲気を前々から感じていたので、いつ聞かれてもいいよう心の準備はしていた。上司との関係は良好で偉くなる気はないことを普段から匂わせていたおかげで、管理職に興味がないことを率直に伝えても、やっぱりそうかぁ程度で納得してくれた。ただその後に、一生現場がいいんだなと上司がポロリ。いや、現場が好きとか嫌いとかの問題ではなくて一生この会社にいるつもりがないんです、とは流石に言えなかった。

とは言うものの、もしまだセミリタイアを決心できていなかったら返答もブレていたかもしれない。今はセミリタイアという目標を定められたからこそ頑張れていると言い切っても大袈裟ではない。ただしセミリタイアはゴールじゃなくてあくまで通過点。盲目的にセミリタイアすれば今抱えている問題が解決されて幸せになれると勘違いしないで、ちゃんとその先を見据えて今と将来のバランス取りつつ上手いこと人生設計を進めていこう。

加齢と説教

自分が若い頃は、飲みの席で人生を語り始める年上を見る度に自分は歳をとってもこうはなるまいと心に決めていました。下手に反論してもまた言い返されるだけなので、引きつった笑顔で話が終わるのをただ待つという苦行の時間を経験したからこそ、自分が中年のオジサンになった今、あなたのためと言う大義名分のもとにいつの間にか自分語りにならないよう注意しています。自分の価値観が1番正しいと思っているほど傲慢ではないので、酔った勢いのままに思考を垂れ流さすことがないよう自制です。

とは言うものの、ゲイバーでたまたま隣りに座った年下の人に、頼まれてもいないのに人生論を聞かせ翌日に猛省したこともあります。歳を取るにつれ語りたくなる気持ちが増してタガが外れ易くなってきていることをひしひしと実感。これが更に悪化していき、気づけば疎まれる存在になっていることがないよう気をつけます。

まあ、このご時世で飲み自体が減りそんな心配をする機会すら不要になってしまいましたが、兎にも角にも早くまた楽しくお酒を飲みたいなあ。

宝くじ

年末ジャンボやサマージャンボのようなザ・宝くじは買ったことはないのですが、数字を予想する必要がないことと1億円以上の当選確率は1番高いらしいのでスポーツくじBIGを10年以上買い続けています。

開始当初は国内サッカー限定だったんですが、しばらくして国外サッカーも対象となり年間を通して毎週買えるようになりました。自分は毎週3口(計900円)を自動で購入する設定にしているので、もはや購入している自覚すらほぼないような状態です。今回あらためて総額いくらをBIGに使ってきたのか計算すると、50万円はつぎ込んでいることが分かりビックリ。10年という年月を経るとまさにチリツモです。投資より長く買い続けていると思うと感慨深いけれど、もしこれを投資に回していたら今頃は福利効果でいくらになっていたんだろうとも頭をよぎる。

ちなみに自分は当選した際にメールが届くよう設定しているのですが、メール本文には何等が当選したかは記載がありません。サイトに行きログインして初めて自分が何等に当選したかわかります。たまにしかこない当選メールを受信した時は、もしかして?!と期待に胸を膨らませてドキドキしながら確かめるのですが、まあご想像どおり5等とかの数百円しか当たったことはありません。でも高額当選で一発逆転の悠々自適ライフを夢みながら今後も買い続けていくのでした。

365日

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他人にとってはだだの1日でも、自分にとっては特別な日ってある
誕生日だったり、付き合って何周年だったり

その逆で、明日が来なきゃいいのになんて思うこともあるけれど
その明日が何処かの誰かにとっては楽しみで待ちきれない日かもしれない

そう考えると、嫌な明日もちょっと違ってみえる
もう少しだけ毎日が楽しく生きられそうな気がしてくる

おそらく竹内まりやでも聴いて感化された後に書いたんだろうという内容ですが、物事のとらえ方次第で気持ちはちょっと軽くなる、ということを苦しい状況にいればいる程に忘れて視野が極端に狭くなりがち。

まだまだゴタゴタして些細なことで気分がアップダウンしがちな2021年。心が乱される出来事があったときは、まずは一旦落ち着いて、飯食って笑って寝てみましょう、と今度は宇多田ヒカルを聴いて感化されるのでした。

Nowhere but here

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新しい場所へ行けば
新しい自分になり
新しい何かが始まると信じていた

ココではないどこかへ
だから実家を出て東京に住んだ
だから東京の次は外国に住んだ

でも何も変わらなかった

結局欲しかったのは、心の安定
ただそれを得るには、自分自身が変わる必要があった

逃げ癖が悪い方向に働き、若い頃は環境を変えさえすれば自分も変われると考えていた。いや、そもそもどう変わりたいのかもよく分かっていなかった。とにかく晴れない心のモヤモヤはここではない何処かに行けば消えると信じていた。

そんな考えで大学入学から20代後半までほぼ毎年住処を変える奔放な時期を経て得た答えは、場所を変えても自分が変わらないと何も変わらないという至極まっとうな答えだった。ただ副次的効果として、いろいろな場所に住みいろいろな人と出会うことでその後の人生に彩りが加えることができ、必要なまわり道だったんだと振り返ると思う。

で、目的だった心の安定を今は得られているのかというと、ある意味ではイエス。年齢を重ねたことで、いい意味でいろいろなモノを諦められるようになり、心のキャパ以上のモノを持たなくなった。若い頃はあれやこれやと心に舞い込んでくる夢や希望、人間関係の取捨選択ができずに全てを抱え込もうとして、現実の自分と願望の自分の乖離に苦しんでいたんだと気付いた。

とは言うものの、人生はトライ&エラーの繰り返し。楽しく迷い道しながらまだまだ丁寧な暮らし(って言いたいだけ)を模索中。

バスタオル

バスタオルは何回使ったら洗濯していますか?ネットにあるアンケート結果を見ると毎回替える人が1番多いみたいですね。結構みんな綺麗好きなんだなーというのが正直な感想。自分は綺麗にした身体を拭くんだし問題ないでしょと3回は使います。バスタオルってサイズが大きいし生地も厚めなので、洗濯はかさばるし干すのはスペースを取るので、地味に洗濯が億劫でした。

でもこの間バスタオルを新調する際、いわゆる普通のバスタオルより小さいけど丁度いいサイズのタオルがあって、まあそれでいいかとふと思い立ち購入しました。髪が特別長いわけでもないのでこのサイズでも全く問題ないし、洗濯物の量も減ってエコだし乾くのも早い。とは言えそれでも毎回洗濯はしていませんが、今となれば何であのサイズ感も含めて普通のバスタオルにこだわっていたのかよく分かりません。

どうでもいい小さいことなんですが、固定観念っていつの間にか生まれて根付き、疑問を持たずに繰り返しているんだなと、バスタオルから気づかされたのでした。

加齢とゲーム

ファミコンど真ん中世代なので、小中高とそれなりにゲームには熱中したものの、歳を取るごとに情熱と気力が低下してゲームからはいつしか足が遠のきました。

ちなみに好きなジャンルはRPGで、苦手なジャンルはシューティングです。RPGは時間をかければレベルが上がり強さが保証される安心感がある一方、シューティングは死ぬと初期装備に戻るため常に緊張感があるところが嫌。この辺は性格ですね。

今の時代、自分がプレイしなくてもゲーム実況動画は探せばいくらでもあり、暇つぶしがてらに以前からたまに見ていました。若い頃は人がやっているゲームを横で見ているだけなんて何が面白いのかと思っていましたが、今はそれぐらいのスタンスが程よくて、年と共に物事との付き合い方が変わっていくのを感じます。

コロナ禍になってからは時間を持て余しているので、Fire TV Stickを繋いだテレビでゲームストリーミングプラットフォームのTwitchを垂れ流していることが多いです。最新ゲームはついていけないので、もっぱら昔のゲームを配信するレトロゲームのチャンネルを見ています。またゲーム以外のチャンネルもあり、雑談チャンネルで街ぶら配信している人がいたり、音楽チャンネルでDJプレイが聞けたり、あとたまにクッキングチャンネルも見ます。日本の方はあまりいないですが、24時間世界中で誰かしら配信しているので、人恋しい時にも見ちゃいます。

そんな感じで長らく見る一方だったゲームですが、自粛生活が長引くことでゲームやりたい欲が久々に出ました。ただ普通のノートPCなので、3Dがグリングリン動くゲームはできないし、難解なゲームもルールが覚えられなさそうなので、パズルや簡易アクションを何本かまとめてsteamで買いました。それでも、まぁ予想はついていたのですが、結局は情熱が続かずほとんどのゲームは途中で放置状態になっています。

ゲームに限らず飽きやすい体質で一つのことを長く続けることが稀なので、これと言った趣味が未だにないのが小さい悩み。何であれ趣味がある人は素敵だなと思う日々。

加齢と体重

先日、定期健診に行きその結果が出ました。巷ではコロナ太りを耳にする中、自宅に体重計がないため気づきませんでしたが、去年より体重が数キロ減っていました。その割に腹回りの肉は落ちてないですが…

巣ごもりの割に体重が落ちたメインの理由は下記の記事で書いたとおり食生活だとみています。当時は痩せるかもな、程度の想像だったのですが半年経ったことで答え合わせとなりました。それと現在リモートワークは座らずスタンディングでやっていること、半年ぐらい1日1万歩生活を続けているので、これも少なからず影響しているとは思います。

前回の通りこの食生活が正解だとは全く思ってはいないのですが、毎回食べる物を考えて用意するのが結構ストレスになるのも事実で、特にこのコロナ禍ではなるべく気楽な生活を送りたいので抜け出せそうにありません。幸いなことに今も昔も定期健診の結果は全てオールAではありますが、将来的に身体に良い影響を与える食生活とは思えないので、どこかのタイミングで改善をしようとあらためて決意です。

加齢と薄毛

「薄毛を下手に隠そうとするのはダサい」と当事者になる前までは思っていたし、自分がそうなったら潔く受け入れようとも思っていました。だけど自分がいざ当事者になってみると、間違いなく加齢による身体の変化で受けた最大級の精神的ダメージとショックで、到底素直に受け入れられませんでした。ごめんなさい。

薄毛薬が開発されたらノーベル賞ものと子供の頃に聞いた記憶から、薄毛ビジネスは人を騙すようなビジネスしかないと思っていました。それでもスマホで撮った頭頂部の写真を見ながら一通り落ち込んだ後、藁にもすがる思いでネットを検索。するとなんと薄毛の原因は科学的に解明済みでそれを抑制する薬もあるということを知りかなり驚きました。それこそ当事者になる前までは、AGA治療のテレビCMを見ても詐欺まがいの商売だと頭から決めつけ思考がストップしていました。

ネットは効果があやしい育毛剤や高級サロンなど有象無象ですが、一番信頼でき納得できたソースはYouTubeでした。今の時代、顔を出して何人もの人が写真付き実体験で薄毛改善のチャンネルをしているんですね。驚かされました。

そんな下調べを経て、自分は個人輸入代行業者を使って薬を入手し治療することに決めました(個人輸入は費用を抑えられますが完全自己責任ですのでご注意を)。抜け毛を抑制するフィナステリド系の錠剤と、発毛を促すミノキシジル入りの塗り薬で毎月2,000円ちょっとのお値段。これぐらいの支出で髪が戻るなら安いもの。治療を始めてから効果が出るまでは大体6ヶ月というのが定説のようで、自分の場合は2ヶ月目ぐらいが効果があるのかないのか不安で一番鬱々として、3ヶ月目ぐらいで徐々に効果が見え始め安堵しました。

しかしながら、この期間ほどリモートワークに感謝したことは無かったです。もし毎日出勤だったら、電車でも社内でも人の目が気になって仕方なかったに違いないです。人の薄毛なんて他人は関心がないことは分かってはいるけど、自分の薄毛に気づいてしまったらもう人の目が気になってどうしようもないものです。

あと今回のことで、髪を切る行きつけの店はあった方がいいなと思いました。どうしても散髪中の意味のない会話が苦手で、短時間で完了する1,000円カットに行っていますが、今後もし薬が効かなくなるなど薄毛が進行した場合でも、行きつけがあれば早めに何か言ってもらえるかもしれない。そういった意味ではLGBTQ+の方がやっているお店だと会話も気を使わなくて楽ですし、お金を落とすという意味合いではLGBTQ+に関わる経済圏の手助けになって一石二鳥かなとも思ったり。

現在は開始から6ヶ月が経ち、もう薄毛が気にならないレベルに無事復活しました。ミノキシジルはそろそろ止める予定ですが、フィナステリドはまだ飲み続けます。と言うか、フィナステリドは薄毛の根本解決ではなく抑制するものなので、服用を止めるとまた抜け毛が増えるため、基本的にはもう禿げてもいいと思える年齢まで飲み続ける必要があります。1年分の錠剤で1万円程度なので金銭的には痛くないですが、あと20年程は飲み続けると考えると長い。まあその間に根本治療薬が出る可能性もあり、この辺は流れに任せていきます。

Me, Myself, and I

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自分を形成するカタチはとても流動的
例えるならジグソーパズル
四方八方のピースが埋まり
ポッカリと浮かび上がった空の1ピース分のスペース

周辺のピースによって形成されるカタチ
ピースが変わればカタチも変わる 

上手いこと例えたなという過去の自分への自画自賛は置いておいて、この頃よりはマシになっていますが、元来あまり我を出すタイプではないし主義主張がはっきりあるわけでもないので、流れに任せる人生を送っています。この反動なのか無いものねだりか、一癖ある人を好む傾向が多くて後々になって癖が強すぎた!と後悔することはや何回。

話が逸れましたが、年齢を重ねると思考も凝り固まりがちなので、むしろこれぐらい俯瞰して自分を見ることができて、中庸に生きるスタンスが丁度いいのかな、何てことも思ったりします。三つ子の魂百までとも言いますし、無理に変えようとせずにありのままの自分を受け入れられる余裕は歳を重ねることで持てるようになりました。

ウソツキ

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嘘をつくのは簡単だ

その場しのぎの嘘
苦し紛れの嘘
口からでまかせは十八番だ

難しいことは
ついた嘘を覚えておくこと
ついた嘘に責任を持つこと

この歳になると大分減りましたが、彼女いるの?と何気なく聞かれることあると思います。そんな時、いないと答えて合コンに誘われても面倒なので、架空の異性を作り出してその場を取り繕う。

恋愛の話に限りませんが、マイノリティーであるが故にその場をごまかすための悪意ない嘘を付くことはよくある話だと思います。ただ難しいことは自分自身はすっかり忘れてしまった作り話を後々また尋ねられて矛盾を指摘されたとき。焦りを悟られないようにしつつ、ああそれはね、とまた嘘に嘘を重ねる。誰を傷つけるわけでもないけれど、素直に答えられないモヤモヤとした罪悪感を勝手に背負う。

何年先か分からないけれど、無駄な心配をせずに正直にセクシャリティーを答えても支障がない仕事環境や住環境を手に入れることも、セミリタイアに期待するひとつであり目標です。

怒鳴り合いは傍観だけで疲弊する

NHKで日曜23時から放送している「The good fight」にハマり、アマプラでシーズン3まで一気に見ました。内容は3人の女性弁護士ものです。シーズンが進めば進むほど、政治色がかなり強くなりますが楽しく視聴できました。

以前はアメリカのTVドラマが好きでちょこちょこ観ていたのですが、ここ数年間は完全に遠ざかっていました。理由はタイトルの通りで、特にアメリカのTVドラマが顕著だと思うのですが、一話の中でほぼ確実に大声で怒鳴り合い、罵り合う場面が結構な尺を使って出てくることです。一話の中で起承転結をつける構成上、そういった演出が必要なんだろうとは思いますが、他人だとしても感情を露わにした怒鳴り合いを聞かされるのは精神衛生上よろしくない。ある時、視聴後にどっと疲れている自分に気が付き、面白くて見ているはずのドラマで逆にストレスを感じるのは本末転倒だと思って見るのを止めていました。

ちょっと話は逸れますが、怒鳴り合いの場面を見ていて思うことは、良い意味で英語はそういう瞬間的な感情を口から表現しやすい言語だなと思います。日本語で罵倒しようとしても、パッと口から出せる単語はそんなに思いつかなくないですか?日本語はどちらかと言うと、爆発的な怒りを表現するより、敬語で淡々と話してそこはかとない怒りを表現できる言語かなと思ったり。

そんなこんなで、The good fightが面白くて一気見できたのは、怒鳴り合いが少なかったり控えめだったんだなと、見終わってから気づきました。それで折角だしこの流れで他の弁護士ドラマも見ようと思い、日本でリメイクもされた「Suits」を見始めました。が、シーズンが進むごとにクライアント、同僚、恋人との怒鳴り合いが増えてきて早くもウンザリ気味。シーズン9までありますが、シーズン3の途中で止まっています。

こんなご時世も相まって、現実世界でも日々いろいろな意見が飛び交っている今だからこそ、ドラマぐらいはほっこりできるものが見たいなと思うのでした。

with コロナ②

リモートワークが始まって10か月ほど経ちました。そしてまだしばらくは続く予定。その間に出社は4,5回だったので2ヶ月に1回ぐらいのペースです。戸惑いと共にリモートワークが始まり、時間と共に慣れたと思ったら、やっぱり気持ちが沈む時期もあったり。ただ自分としてはリモートワークのデメリットよりはメリットの方が多いと感じています。今となっては元の生活スタイルのように週5出勤して8時間以上オフィスに拘束される生活に戻れる気がしません。とは言うものの、今後ずっと完全リモートワークです、と決定されたらそれはそれでまた悩むんだろうけど。

上記のとおり仕事面では働き方の変化で気持ちが追い付かないこともあったのですが、人生という面でみると意外なほど心穏やかに過ごせているかもしれません。コロナ前までは、自分は頑張り過ぎず要領よく人生を歩んでいると思っていました。ところがコロナによって世界が強制的に一時停止を迫られたことで、自分も変な心配をせずに人生を一時停止し心の休息が取れていた気がします。きっとコロナ前は世間から置いていかれないよう立ち止まってはいけないという強迫観念が心にあったんだなぁと気づかされました。

こんな感じで今のところ個人としてはコロナであまり不利益を被っていないというか、むしろプラスに転じていることの方が多い気がします。もちろんこれで良いわけはなくて、コロナは早く駆逐されるべきだと頭では分かっているけれど・・・

こういう感情をどう扱うべきか(もしくは無視するべきか)と思う中で「コロナロス」や「現状維持バイアス」について書いてあった以下の記事を読んで、なんとなくホッとしたり。まあいずれにせよ大切なのは、この記事も含めて日々流れてくる様々な情報に心が揺れ動き過ぎて疲弊してしまわないことかと思います。